写字台文庫

解説

写字台文庫とは、本願寺歴代宗主が収集・伝持してきた書籍の総称である。収集された書籍のジャンルは幅広く、真宗仏教 関係をはじめ、文学歴史自然科学、芸能等までに及んでいる。

「写字台」という言葉は、宗主の居室の呼称であり、その由来は唐の太宗が全国より書籍を蒐集し、王室の図書館に収蔵するとともに勉学を奨励するという故事に因んでいる。

写字台文庫は、本来宗主の個人的なものであった。宗主やその周囲の人々によって活用されているうちに徐々に欠本や行方の分からない書籍も出てきた。このような状況のなかで、第20世宗主廣如上人は、1846年(弘化3年)に橘正辰らに命じて、書籍の整理や目録の作成、閲覧規則の制定、書庫の改修などを行わせた。それらの事業は、10年後の1856年(安政3年)に完成し、本願寺の子弟の教育に役立てられた。

明治期に入り、第21世宗主明如上人が、前田慧雲(後の龍谷大学学長)と上原芳太郎(当時の本願寺内事局長)に文庫の整理を命じ、1892年(明治25年)と1904年(明治37年)の2回に分けて、龍谷大学へ文庫の書籍が寄贈された。

文庫の書籍の総数は、およそ3万冊に及ぶとされ、龍谷大学が所蔵する貴重書の大部分を占めている他、単なる貴重書のコレクションとして扱われているのではなく、現在も有益な研究資料として、学内外の人々に活用されているのである。